長いへりくつ

卒論の中間発表が終わりました。
わーい。
わーい。


ちょっと余裕が出てきたので、
たまには、こってりしたものを書いてみようと思う。


「自分のやりたいこと探し」について。


「自分が何かやりたいことを見つけることが大事」というのは、
もう至るところで、いろんな人に言われてることだ。


というわけで、特にやりたいこともない私は、
「何か」を見つけるために、思いついたことをいろいろしてみた。


弓道やアルバイト。
ホームステイやスカイダイビング。
山に竹を切りにいったこともあったし、
助成金でホームページも作ってみた。
船に乗って漁師さんと話したこともあったし、
絵本に関係したお手伝いもした。
その他もろもろ。


飽き性な性格なので、すぐやめたものもあるが、
バラエティに富んだことをいろいろ経験できたと思う。


じゃあ、何か特定のスペシャルなものが
見つかったかと言われれば、特にない。
よい経験になったし、楽しかったけれども、
最初私が求めていた満足感とは違う。


私は、自分が、他人が認める範囲での「何か」を見つけることで、
他人に認められたいと思っていたらしい。


自分に合った、人が認める範囲での、特定の「何か」がどこかにある。
そして、私はそれを見つけられたら、ハッピーになれると思っていた。


「なんかおかしいなぁ」と違和感を感じ始めたのは、
探し始めて2年経った後だった。


そんな風に、誰かの認める「何か」をすることに、
自分の時間を使うのがもったいなくなってきたのだ。


自分が楽しくなくちゃ意味がないもん。
ほんと、当たり前のことなんだけど、
最近しみじみ思うのだ。


例えば、
Aさんは、
「資格取るのが好きで、いろんな経験してて、いっぱい知り合いいて、いい就職先」
で、
Bさんは、
「料理とか洗濯が好きで、あんまり外に出てなくて、知り合い少なくて、微妙な就職先」
だとする。
AさんとBさんを比べたときに、Aさんの方を評価する人のほうが多いんじゃないかと思う。


でも、AさんとBさん、それぞれが、どのくらい自分の生活が好きで暮らしてるかなんて、
本人に聞かなけりゃわかんない。
端から見たものなんて、その人の内面ではなくて、外面にすぎない。
もし、Bさんが、例えば今日料理するもやしにトキメキをとっても感じていたなら、
Bさんのほうが豊かな生活なんじゃないかと思う。


例えば、だけどね。


こんなことを書くと、
「へりくつだ」とか言う人が、たぶんいっぱいいるんだけど、
自分が2年試してみての実感だから、
「こう思ったんやもん」としか言いようがない。


まだ書き足りないけど、
いっぱい書くと、へりくつ丸出しになってしまうので、
今日はここまで。